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フットボールの徒然ニュース
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多分に、時には、誇りを守る為にしないといけないことがある。




FIFAが嘘っぽく、人種差別撤廃を謳うなら、今回の決勝でのマテラッツィの言動(まだ、完全に立証されていないが、過去の経歴からして、確実だろう)はどの様に対応するのか、見物である。フランスでのアルジェリア人の孤立した立場に、ジダンは微かな彼らの誇りだったに違いない筈だ。しかし、現実は、まだ、欧州には、無数に流入してくる、移民の恐怖に慄いている弱虫が多く存在しているのが現状なのだ。彼ら、インなるものからのアウトへの強烈な防御意識は、今回のこの一件でも、明白な物になった。ジダンの行った行為は許される物ではないと、建前上メディアは言わざるを得ない。しかし、個人的には、言葉は時として、どんな暴力にも勝る、凶器に変貌する。彼の退場が、これまで彼が歩んできた栄光に泥を塗る物にはならないし、否定出来ない筈だ。フランスは、人種と言うものにデリケートになっている。それは、最近のEU諸国の何所も同じことだと言えるかもしれないが、特にこの国は、敏感なのだろう。しかし、悩めるだけまだましだ。それが、存在しないと、隠す国と比べれば

ドイツは、統合後、改革が遅れた旧東ドイツと、西側との格差が大きな問題になっていて、今の尚、その構図は改善の兆しが見えない。昨年、東ドイツを観光で廻った折、ガイドは、頻りに、ドイツの悩める現状を淡々と語っていた。果たして、ドイツは統合して良かったのだろうか?今回の大会は、統合ドイツの象徴となるべき、イベントだった訳だが、統合の名目、同じゲルマン人が再び結合すると言う、大前提は、逆に、変にゲルマン人を意識してしまい、古き汚点のファシズム時代に逆戻りしてしまっていると言う指摘もある。大会中、ドイツ国旗が馬鹿売れしていると言うが、これも、ある意味恐い現象でもある。しかし、今回、それに、意義を唱えた、クリンスマンの選手起用は、ある意味、今のドイツを象徴していて、ポーランド人、旧東ドイツ、その選手のルーツも様々だ。純血主義を頑なに守り続けることは、その国の勝手だが、テロリスト呼ばわりされる必要は全く無い。ある意味、これがこの国の本質だと言えば、失礼だが、強ち間違いではないだろう。WCの優勝で、彼らの過去は、早くも忘却の物になりつつある、変わり身の早いこの国には。

“関係者の信頼できる情報に拠れば、イタリア代表選手マルコマテラッツィは、フランス代表のジネディーヌ・ジダン対して、汚いテロリストと、罵声を浴びせたようである。私達が、今回、このような声明を発表して、この口論について、仮にも規約を定めている国際機関であるFIFAに対して、然るべき対応を要求する理由はそれである”―SOS Racism

“彼は凄く落胆していた。今回起こった全てのことにね。しかし、これが、人生だ。彼も、弱い人間の一人なのだよ。神でもなんでもない。マテラッツィが彼を刺激することを言ったことは、間違いない。それが何だったかは、今は分からないがね。そして、私は、彼とは長い付き合いだから良く分かる。マテラッツィが発した言葉は、決して彼から聞くことはないだろう。数日後に何かしら、彼から、今回の一件についての説明があるだろうけどね。夜更けの午前2時頃、彼を見たとき、まだ、落胆していた。彼も、こんな形で、彼のプレーヤーとしての結末を終わらせることが、残念でならなかったに違いないのだから。彼は、物事を溜め込む、人間だ。そして、ある時、それが、収拾がつかない状態で、爆発する“―ジネディーヌ・ジダンの代理人

“彼を罵倒したことは確かだ。しかし、テロリスト云々の部類の罵倒は言った覚えは無い。少し、勉強不足なのだけど。イスラム原理主義が何なのか、実際、私は知らないんだよ。私が言ってた部類の罵倒は、グランドの上では頻繁にやりとりされている物の一つに過ぎなかった”―マルコマテラッツィ


実際、イスラム原理主義が何なのか、彼は知らなかったのだろう。認識が無いのに、言ってしまう。このことが、彼の人格を全て物語っているし、個人的には、付き合いたくない。
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サッカーという名の神様

WCドイツ大会を観てる。相変わらず、イングランドサポは愉快だ。あれをフーリガンとして扱うなら、それは、英国の男性皆総フーリガン化とでも言う必要に駆られる可能性が生まれる。(笑)巨大な組織になると、それはそれで、ただ、強いチームが勝利すると言う、完全な実力主義と違ってくるのは、どこの社会でも同じだ。今回の大会も、ある意味その種の思惑が多分に感じられる。書店にたまたまいって、何気なく文庫本のコーナーに行ったら、こんな本が目に入った。少し読んでから購入することにする。巷に溢れる、WCフィーバーで即席に作られた、本の数々とは少し違う感じがする。あの手の本は、フットボールと言う宗教的な要素が殆んど感じ取れない。ある種、戦術があれこれとか、どうでも良い物で、そんなものがあるからといって、決してジュールリメ杯は手に入れられない。フットボールには、人間臭さが必要なんだよと言ってる数少ない本だと思う。最近のFIFAは、綺麗な大会にしたいらしい。其れは其れで良いが、他のスポーツでして欲しい。私達のフットボールは、そんなものじゃないのだから
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ウルトラ伯剌西爾人は、予想道理、三分間しか持たなかった。



川口の神懸り的なセーブは、この数字からみても、一目瞭然だが、日本の個人技に任せた、あのブラジル人の選択は果たして?私は、また、98年のフランス大会に逆戻りしたような、錯覚に陥った。あのブラジル人は、一体何を、この侍に土産として残して行ったのだろうか?個人的な意見を言わせて頂ければ、殆ど無いように思える。川口のファインセーブは、フランスの時と同じ、微かな喜びに値する物だが、それが、今後の日本のフットボールにどの様に、影響するかと、尋ねられれば、答えに困ってしまう。ゴールデンエイジと言われた、世代が、成熟期に達する、このWCだったが、前任のフランス人監督の遺産で、どうにか食い繋いだ、このブラジル人。食べ尽して、故郷へと帰宅の途に着くにも、良いのだが、TV放送権に絡むスケジュールのクレームは、些か、彼の低能振りを、如実にさせた。何時の間にか、頼れる指揮官は、言い訳好きの負け犬の遠吠えを連呼するようになっていた。果たして、02年が終わった時点で、日本は、選択肢を間違えたのか?組織的なフットボールから、自主性に任せた、フットボールへの転換は、些かリスクが大きかった。まだ、お隣の国の方が、潔い気がしてならない。ブラジルに憧れる、私達は、所詮、似非伯剌西爾に過ぎないと言うことが、今回の最終戦で、わかった訳だ。次に繋げられる、大会だった?いや、この経験を活かせる人材を、このブラジル人は、どれ程?採用したか?無駄な大会だった。

欧州で、指揮官としての、活躍の場を探そうとしている、彼であるが。其の可能性は、ゼロに近いだろう。彼以上に優秀な人材は、星の数ほど居る。
最近、Youtubeなるサイトで、懐かしのPVを鑑賞するのが、なかなか楽しいのであるが。誰でも作れる無料ブログサイトに、タグで貼り付けて作った、こんなスペースを作りました。よかったら、鑑賞あれ。私の音楽の趣味が理解できるかも?(笑)また、サイトも、少し新しくスタイルシートを弄りましたが。ここで、或程度のフォーマットは補えるようです。後、ジャンクCDを救済する活動を記録した、このサイトもヨロシク。休日はもっぱら、この活動に精力傾けておる自分に、自分なりの平和を見つけております。(笑)
フットボールの事だけ、にも、限界が、自分の思っていることを、書いてます。

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