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フットボールの徒然ニュース
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あんまり、日本代表のことをうんぬん言うのも、かと思ったが。英国のタイムズ紙の「Cahill creates history with perfect timing」が面白かったので、訳しておきました。

Tim.jpg

ティムカーヒルは、オールトラリアの秘密兵器だった。







それは、オーストラリアが保持し続けようと躍起になっていた、クリケット英豪戦優勝トロフィーの部類ではなかった。あくびが出そうな32年間の後、WCとの新しい関係を模索する私達(フースヒディングのサッカールー)は、6分間と言う、恐ろしい時間に直面し、栄光と言う希望は、ほこりの中に埋もれるかのようだった。エバートンファンなら、ティムカーヒルの目がメラメラと燃えたがる為に、多くの時間は必要ないことを十分に承知のことだろう。

ヒディングに試合当日の朝、スタメンで出場しないとの趣旨を説明された時、彼は苦杯を飲んだ。そして、彼らのチームスピリッツの方針に理解を示した。後半からの出場、彼は、この試合を一瞬の内にして、2回ゴールマウスを揺らすことで、オーストラリアの優勢に変えてしまったと同時に、彼のゴールは、WCでのオーストラリアにとっての、記念すべき最初の得点となったのである。

“僕達の間で、賭けをしたんだ。誰が、この試合に得点できるかってね”、26歳のカーヒルはこう語った。“その時、僕は言ったんだ、今から、グランドに立って、僕が決めてくるよ。それが、あんな感じの喜びの表現になっちゃったんだろうね。あれは、オーストラリアで有名な、ボクシングカンガルーの真似さ。このチームに流れる雰囲気は、家族みたいな感じだし、彼の采配が見事に機能した今は、監督に対する、信頼も厚いよ”

ヒディング(彼のチームは、ウルグアイとのPK戦で、苦戦しながら、ドイツへの切符を獲得した)は、熱狂的な彼の信者のメディアによって、聖フースと崇められ、今回の奇跡は、それを表明した形になった。セルティクの中村俊輔から放たれた、疑惑のゴールは、マーク・シュワルツァーのそのボールを追う為の執拗な飛び出しから、相手選手に挟まれる形での産物である。その後、彼らは、その不可解な判定に、暫くの間、憎悪を隠せないでいた。

その乱闘騒ぎは、当然の結果だったのだろうか?ヒディングは、FIFAオフィシャルと、中村のゴールのリプレイを見る為に、テクニカルエリアを離れることで、議論になった。“私も少し大人気なかった。しかし、全て私に非があったとは認めたくない”、オランダ人監督は、こう語った。“スタジアムいる全てに、そのゴールを見ることを認めているのに、何故監督だけ、それができないのだ?そのような不合理な決まりには、納得できない。馬鹿げているよ。私が、あのような行動を起こすのも、当然の結果だと思える”

ヒディング(後に、日本のコーチングスタッフに向けて、怒りの拳を振りかざした)はこの出来事について、明白な考えがあった。シュワルツァーが不用意に、ゴールエリアから飛び出したことは、ある意味彼の過失である一方、柳沢、高原に押されたことは、キーパーチャージに値するものだと言う物である。レフリーは、後に、マーク・ビドゥカに対して、彼の怠慢な判定が、この試合を決定付ける物ではなかったことで、安堵感を見せると共に、素直に過ちを認めた。“彼(レフリー)は、今日は、彼に神が降りてきたと言っていたけど”、ヴィドウカは語りだす。“それは、正確に言えば、その神(罪を許す慈悲深い)ともう一つ、ティムカーヒルだったんだよね”

ビドゥカ(彼と、チームメイトであり、同クラブでプレーする、シュワルツァーは、彼らの新しい監督、ギャ レス・サウスゲートから、厳しい視線を向けられることになるだろう)のプレーは躍動感溢れるものだった。しかし、日本のGK川口の方が一枚上手だった。彼(ビドゥカ)の最初のゴールチャンスは、跳ね返され、ジーコのチルドレン達は、彼らの幸運過ぎるそのアドバンテージをしっかりと握り締めていた。しかし、其れ以上に暑さと言う難題は、彼らに大きな損害を与えた。68分ビドゥカから低めに放たれたFKは、川口の、パンチングによって、防がれた。その前には、ジョン・アロイジからのボールに対しての好セーブも存在した。
敗戦が濃厚になりつつある中、オーストラリアは、彼らの控え選手に望みを託することになる。(エリクソン氏に対してのトリビアだが、この試合に出場した、14人の内、略半数が、イングランドにその活動を置く選手達だ)カーヒルは勢力的に動き、効果的だった。そして、ルーカス・ニールのロングスローが、軽くはたかれ、ハリー・キューウェルのチャレンジの後、分が悪そうに転がるボールに対して、冷静に対応した。“あのシュートは、DFの一人を経由して、ゴールマウスに吸い込まれたと思うよ”、後にカーヒルはこう語った。

このゴール後、日本は、無残にも崩壊した。ホイッスルが鳴る前の数分の内に、アロイジ、ジェイソン・カリーナの連携から、カーヒルの20ヤードショットを演出した。しかし、これだけでオーストラリアの反撃は終わらなかった。アロイジ、(元、ポーツマス、コベントリー)のドリブル突破、二人のDFをかわして、彼の右足から強烈なシュートが放たれた。そしてなにより、“余りにも多くのミステイクの為に、私達は負けた”、試合後、日本代表監督、ジーコが寂しそうに語ったのがなんとも印象的だ。

注釈:

この記事は、英国のメディアからの抜粋だったが。何とも、最近、ごく僅かな部分が、問題になったご様子だ。ティムカーヒルの賭けを行った云々の発言は、英国の日曜日の娯楽、ニュースオブザワールド紙のスクープ記事になった。そもそも、この発言の元は、豪メディアからの、引用だと思われるが、最近のFIFAは規制ばかりの、お堅い人の集まりらしい。

"Every player completed a declaration regarding betting, ethics, the appropriate conduct with respect to non-discrimination and racism.

"If they breach any part of these conditions, and that included betting among themselves, then it would be brought to the attention of FIFA's disciplinary committee who will analyse the case and decide what measures will be taken."


と、この件に関して声明文を出した、国際機関さんだが、個人的には、自らの組織も、このように、敏感に調査して欲しいと願う昨今である。(笑)
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小太りの活躍で、カーリングカップ3回戦、古巣フルハムに勝利した、WB。しかし、ガーディアンのマッチリポートは、彼の活躍をこう最初に賞賛しております。(笑)


Signing Junichi Inamoto on a permanent basis was deemed too great a financial gamble for Fulham when the Japanese midfielder was on loan with Chris Coleman's side but his stunning winner reminded the Londoners that safety first is not always the best option.


稲本潤一の完全移籍に、合意することは、世間一般に言えば、フルハムにとってそれは大きな賭けだと凡そ考えられていた。しかし、彼の素晴らしいプレーは、このロンドンのチームに、セーフティファースト(安全第一)は、時として、必ずしも、有効な選択にはならないことを、改めて認識させる結果になった。
英語「Bolton Wanderers」宣教師、Reverend J F Wright によって1874年の創設された、聖職者の為のチームが起源。

創設当時

彼らは、1888年に起こる、フットボールリーグ創設当時からの、伝統的なクラブチーム。当初、彼らのホームスタジアムがなかなか固定できなかった為に、Wanderers(さすらい人)として知られるようになった。1895年にようやく、元化学工場(漂白剤)跡地だった、Burnden Parkに本拠を構えることになる。このスタジアムは当時としてはモダンで、英国最初の照明設備を持つスタジアムとして、試合を行った。彼らの有名な、逸話として、Saturday Pieと言う物がある。1901年のFAcup決勝、再試合がBurnden Parkで開催されることが決まった時、観客にパイを配ることを決めた。その見込みは、当日の鉄道のストで、大幅に狂い、僅か、二千人程しか集まらなかった為、用意したパイを台無しにする羽目になったというもの。また、このスタジアムには、オーナーの意向で、自転車用トラックが隣接されていて、それを使って、フットボールの試合前に、自転車レースが行われていた。

このスタジアム前に使っていた、Pikes Lane は牧歌的なスタジアムで、丘に隣接して建設された為、収容人員に限りがあったこのスタジアムの、第二の観客席となったと言う逸話もある。

低迷する80年代

80年代は一時期、当時のリーグにおいて、4部リーグまで降格すると言う、チームとして危機的な状態が続く低迷期に差し掛かる。結局、財政難に苦しむクラブは、スタジアムの一部を売りさばき、その跡地には、スーパーマーケットが建設される。

** リーボックスタジアム時代

晩年の老朽化は、避けることはできず、1997年に、チームが再びプレミアリーグに復帰すると同時に、新しいスタジアム(彼らのスポンサーの名前から)リーボックスタジアムに移ることになる。Burnden Parkが街の中に存在したスタジアム対して、リーボックは、郊外のショッピングモールに隣接する形で作られた、いかにも今風のスタジアムである為に、一部のファンからは不評を買っている。グランドが一望できる客室を備えたホテルがスタジアムに取り込まれる形で存在しており、その趣は、アメリカ的である。スタジアムツアーや、資料館も存在して、近代的なフットボールスタジアムの趣を放っている。

近年、他のビッグクラブのように、大物を大金で獲得する程の財政はなく、各国の旬の過ぎた有名選手を獲得する傾向にあり、それが彼らのクラブに上手く機能している。


ライバルは、同じ、グレーターマンチェスターに所属するマンチェスターシティ。近年での彼らの活躍は、ファン心理によって、四強([[アーセナル]]、[[マンチェスターユナイテッド]]、[[リバプール]]、[[チェルシー]])の次に強いクラブだと言う自負を持っているようである。
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