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フットボールの徒然ニュース
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英語「RED DEVILS」ーイングランド北西部の工業地帯、マンチェスターにホームを持つ、イングランドリーグ、プレミアディビジョンに在籍する、フットボールチーム、マンチェスターユナイテッド(Manchester United)の愛称。

歴史

退屈な落ちぶれた、英国病の影響を直接受けたような都市、グレートマンチェスター。産業革命期の栄光は無く、あるのは、だれたダンスビートに、イアンカーティスの亡霊。そんな、市民にとって、フットボールはかすかな宝物なのである。

このクラブの歴史は、鉄道労働者の余暇を楽しむ為のチームから発展したと言うのが、一般的な見解。最近では、この産業革命の発祥の地もある意味、“マンチェスターユナイテッド”の街として、この世界的に赤い悪魔として親しまれるマンチェスターのフットボールクラブは、観光客がお金を落として行ってくれる大変街にとっては有り難いアミューズメント的な存在。しかし、ロンドンから些か特急列車で数時間ぐらいしかかからない交通の進化とTV放送の利害によって、昼の試合を観戦した後、日帰りで十分に帰れるのは皮肉だ。

ミュンヘンの悲劇とバズビーベイブス

日本でも有名な?ミニックでの“飛行機事故”で、生き残った選手でのCLの制覇は美談として英国人の心の中にも受け継がれていったのは否定できない。現に、彼等のスタジアム(オールドトラフォード)のクラブ事務所の外側の時計は、飛行機が墜落した時刻、3時40分をさしたままとまっているのは有名。この憎い演出は、古きを懐かしむフットボールファンの心に訴えているのは間違い無いであろう。


この事故が起こる前には、すでにマットバズビーが提唱した、マンチェスターユナイテッドの“若手育成プログラム”が開花しようとしていた。チームには、惜しくもこの事故で帰らぬ人となったダンカンエドワーズや、ボビーチャールトンなどの才能ある若者が沢山いた。彼等のことを、人々はマットバズビーに敬意を示す形で、“バズビーベイブス”と表していた。


古くはゴムボールでドリブルの練習をしていたと言われる、北アイルランド代表の“エルビートル”(もう一人のビートルズ)[[ジョージベスト]]は、ビートルズマニアで沸き上がる60年代の英国音楽に歩み寄り、ポップカルチャーとフットボールの融合を可能にする。しかし、彼はその後、典型的な破滅型スターの図式を辿るように、お酒、女遊び、ギャンブルと一通りの悪行を行い、そのツケを最近はもっぱら支払う余生を若い無邪気な愛妻と送っている。

参考:ミュンヘンの悲劇の詳細

栄光と挫折からの復活

英国を覆ったサッチャーイズムで、純粋なスポーツとしてのフットボールと言う概念は哀愁になった。その意味では、90年代は英国フットボールに於いて、大きな転換期である10年だったのは否定できない。それまでに英国のメディアを支配していたオーストラリアの実業家、ルパードマードックは来るニューメディア界に対して彼の支配を強固な物にする為に、宇宙に衛星を打ち上げた。当時この赤字経営だった衛星放送局の為に彼がとった改革案とは、英国人に最も人気のあるスポーツフットボールをキラーコンテンツにすることだった。その巨大なTV放送権料の注入は、70年代の初期以来、フーリガンと言う病気を宿ってしまった瀕死の末期状態だった英国フットボール界にとって、スタジアムの老朽化、貧弱な警備体制などを解決する為に必要な“特効薬”になる。

其の当時、既に、かつての英雄だった、デニスローに決められ、因縁のライバル、シティによってもたらされた、1974年降格に代表される、悪夢のような20年を葬り去るべく、マンチェスターユナイテッドは、スコットランド人のアレックスファーガソンを監督に据えて、“長期的視野でのクラブ作り”に着手していた。彼の今までの長期政権は、1990年のFAカップなどを手堅く、幸運に獲得し、それによって運良く首が繋がっただけだと言う意見も存在する。しかし、彼の“頑に守り続けて来たユース制度”の強化は[[デビッドベッカム]]などの登場によりある程度の成果みることになる。

エリックカントナ時代

しかし、この当時、まだ彼等には強力な“リーダーシップ”と言うスパイスが足りなかった。彼等の支配を強固な物にしたのは、メディアをカモメと表して、哲学家気取りのカンフーキック野郎だった。大陸を追われる形で英国の地に降り立った彼は、ちょうど国家的プロジェクトの“ユーロスター”が仏蘭西と英国を結ぶ時期と重なって、仏蘭西の親善大使のような趣も醸し出していた。リーズを優勝に導いたのにも関わらず、問題児の性質からか、使い難い選手気質が幸いして、アランシアラーを獲得に失敗したマンチェスターユナイテッドの苦し紛れの補強選手となった。それも後から考えると、結果的に信じられない程、バーゲンで買ったことになる。

その悪党“エリックカントナ”のクライマックスは、クリスタルパレスサポに対して与えた、有名なカンフーキック。英国国営放送局BBCもこの不祥事を当時トップ項目で伝えていた。その後、彼を取り巻くメディアは、彼の哲学の講議を聞くのに必死だった。長い休暇をこの不祥事で過すことになった彼であるが、復帰してから素晴らしいプレーをファンに見せ、カントナここにありとその存在感を見せつけたのであるが。悲しいかな、突然の引退会見で、ファンを悲しませたのである。

最近彼は、常夏の海岸でビーチサッカーを謳歌する毎日。米国スポーツ会社のナイキと彼の付き合いはまだ終わって無いが、皮肉にもフットボールの商業主義を非難し、マラドーナを筆頭とする、アンチ“貴族FIFA”メンバーの一員であることは今も変わり無いようだ。


その後、グラマラスな夢見る少年、[[デビッドベッカム]]が、このクラブの顔として、ポップスターの妻の力を借りながら、世界的にグラマラスナお金の臭いがするクラブに成長させていった。成績も人気と平行して好調の連続。遂に悲願だった久し振りのCLをゲルマンの雄、バイエルンミニックを終了間際の怒濤の攻撃で撃破して、優勝。日本にもトヨタカップと言うお金の匂いがするある意味、アジアツアーの一貫としてその年の冬に訪れ、注目を集めた。
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