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フットボールの徒然ニュース
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Mirror.co.uk - Sport - Football - WE ARE SCARED HENRY WILL GO

相変わらず、アンリのバルサとのリンクをつまんなく記事にしてます。もう、プレミアは諦めたとか、ビエラの売却は失敗だったとか、後悔の連続ですね。(笑)ついでに、スタジアム建設も失敗だったと、勇気を持って発言して下さい。

詳しくは、エミレーツスタジアムの記事を参照

"Unlike some teams, we don't have international players in the stand or on the bench,"-Thierry Henry


気が付けば、ご自慢のフレンチコネクションも崩壊。しかし、もろ、チェルシーを意識した発言だな。(笑)CLでの彼の活躍は、その存在感をファンにまざまざと見せ付けた訳だが。しかし、金がないよこのクラブ。(笑)


イアンライトの185ゴールのクラブ記録を更新した、アンリさん。デビッドディーンから、入団お祝いとして、挨拶程度に頂戴した、イアンライトのビデオテープは、何かの運命だったのか?しかし、ディーンが付け加えた、一言、“これからは、貴方が、このチームで、彼のようにならなければならないのだよ”の一言は、この日を予感させるものだったのだろうか?しかし、彼は、ライトのように、個人主義ではない、フットボールは、チームスポーツだと言う哲学を持つ。その意味でも、上の、チームのやる気のなさに、すこし、いらだちを隠せないのだろうか?と結論付け。お金じゃないのね。相変わらず高級紙さんの記事は、お上品。

引用:Telegraph | Sport | Record-breaking Henry still a master of humility
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BY PAUL ROWAN

アーセナルDF、フィリップセンデロスは、水曜日、アイルランドにとって脅威の壁になるだろう。

フィリップセンデロスは、紳士的なヤングガイ。恩を痣で返すことは、普通の状況下ではありえない話だ。しかし、今週は彼にとって普通ではない。木曜日の朝、彼はダブリンから、ロンドン北部、バーネットにある彼の住居へと戻り、そして、クラブが提供する住み慣れたこの場所から、彼自身のアパートメントへと引越しの準備を始めるだろう。

そして、この恩知らずは、多分、お世話になったアイルランド人寮母、ノーリンデイビスに対して、さよならと言ってることに違いない。彼の波乱のアーセナルでの2年間の、事実上の精神的支柱だった彼女に対してだ。それも、御礼の後、彼が願って止まない試合での勝利に酔いしれながら、彼女の母国に対して、残酷にWC出場を阻んだことに対しての詫びも同時に言うだろう。“彼女は、母親みたいな存在だよ”彼はそう言う。“彼女は僕を全ての場所へ連れてってくれた。そして、洗濯、料理のめんどうも全てさ”

フィリップ・センデロスは特に、彼のロンドンでの最初の日々(2003年)を思い出した。怪我の連続は、殆どボールを蹴ることさえできない一年間を意味した。そして、ノーリンやルームメイト、セスクファブレガスからの支えを頼みにした。“僕は大丈夫だったさ。だって、僕には、ノーリンや、他の選手が居たからね。もし、それがなかったら。それは、もっと困難な物になっていたような気がする”

20歳の若さで、彼は、フットボールのプロの選手としての道を歩む準備ができたように感じている。彼程の若い選手が一体どれだけ、FAカップの優勝メダルと、フル代表への出場経験を持ちながら、それを感じられているだろうか?しかし、センデロスは決してこの現状に満足する選手ではない。スペイン人の父、セルビア人の母を両親に持つ。彼らは、お互いジュネーブに移民し、そして、ここで出会った。

彼は、18歳まで学校に行き続けた。そして、大学進学を視野に入れていたが、しかし、兼ねてからの念願だった、フットボール選手への夢は、次第に大きく膨らむ。
センデロスは、16歳の時に既にジュネーブのクラブ、セルヴェッテでプロデビューを果たす。この時点で、アルセーヌヴェンゲルは彼に注目をしていたが、2002年、デンマークで行われた欧州U17大会で、彼が、スイス代表のキャプテンとして、勝利を収めたことは、他の欧州のエリートクラブからの注目を浴びることになる。

レアルマドリッドもその中の一つにあった。しかし、彼は拒否をする。アレックスファーガソンはわざわざ彼をマンチェスターユナイテッドに招待した。それは、彼以上に、彼の父を喜ばすことになる。父は、赤い悪魔の大ファンだった。彼と彼の父は、2日間、マンチェスターで過ごす。しかし、彼の心は、アーセナルに決まっていた。“家に帰って、僕の部屋の天井を何気なく、見上げたら、、、張ってあったポスターは、殆ど、アーセナルの選手だったんだ”

ヴェンゲルとの会談は、彼のハイバリーへの道を決定し、彼は、2003年、セルヴェッテから5万ポンドで、移籍する。センデロスがクラブに移籍してから、直ぐに彼の身体能力の成熟度に感心するヴェンゲルであった。しかし、早くにトップクラスでプレーすると言う希望は、彼の早期での怪我で大きく崩れた。

しかしながら、ヴェンゲルは彼をカップ戦に使い、ソルキャンベルの怪我の問題、 パスカルシガンの怠慢なプレーによって、彼が考えていたよりも早い段階での、センデロスの起用を迫られた。そして、彼の作シーズンのプレーはヴェンゲルをFAカップ決勝に起用する決断へと導く。ソルキャンベルの怪我は既に完治していたのにもかかわらずである。

“素晴らしい経験だったよ。試合が終わって欲しくない気持ちで一杯だったよ。シーズンが終わっていくのが寂しかったね。僕のシーズンはこれからって感じがしたからね”しかし、彼は、プロの厳しさの洗練をチェルシーのディディエドログバによって2週間の内に、2回も浴びた。ヴェンゲルは、彼の代わりに、キャンベルを使うことを考え始める。そして、センデロスは再びベンチから、試合を眺めることになる。それは、ヴェンゲルの配慮によるものだったが。

センデロスは、ダブリンで、スイス代表としてプレーするわけだが、彼のA代表でのプレーは、アーセナルでの彼のプレーがその成果である。代表としてのデビューは、フランスとの3月の試合だった。そして、それは、デビッドトレゼゲと言うヨーロッパを代表するFWを抑えることを、彼に強いる訳だが、代表として、パリから0−0の引き分けと言う素晴らしい結果を持ち帰ることによって答える。

水曜のランズダウンロードでの試合は、所謂カップ戦決勝のような戦いになるだろうと言う時、決して、陳腐な決まり文句を言ってる訳ではない。昨夜の試合結果は、もしあの時点でスイスが負けていれば、彼らのWCの夢は終焉を迎えていたわけであり、それは、アイルランドにも同じことが言えた訳である。彼は、ダブリンでのアイルランド対フランスの試合をビデオで先月視聴する。そして、彼が見たものは、興奮に値するものだった。

“それは、とても素晴らしい雰囲気だったね。あの試合からは、誰でも彼らの全力のプレーが感じ取れると思うよ。あの、素晴らしいアイルランドサポの前では、当然のだと思うけど。僕らの試合も、大変な試合になると思うよ。皆、アイルランドが彼らのホームで戦う時の凄さを知っていると思うからね”

センデロス自身も、バーネットでの生活から十分に承知済みだ。センデロスにとって、彼らとのダブリンでのエキサイティングな試合は、思い出として、深く刻まれると同時に、アイルランドのWC出場の夢を、完全に葬り去ることと行きたい訳だが。

引用:「Swiss guard
英語題「Fever pitch」

ぼくのプレミア・ライフ

小説家ニックホーンビィは自らの処女作で、“[[アーセナル]]はこの地球上に愛される為にうまれてきたのではない”と、自らの偏狭的な愛を語った。この自叙伝とも言える、彼のフットボールへの愛情の注ぎ具合は、まさに、Football is my lifeを体現化するものである。後に、映画化される、この作品は、原作とは異なり、[[アーセナル]]のリーグ優勝シーズン1988-89に特化し、また、恋愛模様を重要化するといった、世俗化の傾向が見られ、2005年には、この作品は、フットボールをベースボールに変えると言った形で、アメリカ版""Fever pitch"" が制作されると、その一部分だけの過剰な大衆化が危惧される。彼は、ケンブリッジ時代には、[[アーセナル]]と相反する、彼曰く、”同じ宇宙にいない”と言った、正当な理由で、ケンブリッジユナイテッドにお熱になる。そして、英国では、エリートの逃げの仕事?で有名な教師をしながら、[[ヒルズボローの悲劇]]に遭遇すると言った、英国フットボール史を彼なりの視点で描いた。所謂、ロンドンの裕福層のフットボールへの接し方と言うべきか?それしか楽しみがない、北部のファンとは少し接し方が違っているように思える。ヒルズボローを出すのは、フットボールファンのあの当時の哀愁に触れる絶好のキーワードで、英国社会の最悪な時代を呼び起こし、ファン並びに、国民に感動を与えたに違いない。彼の人生が、アーセナルなら、今世紀に入ってから、黄金の時代だったのだろうか?しかし、彼の愛するクラブは、彼の遺灰を埋めて欲しいと願った、ハイバリースタジアムを去り、莫大な借金をしながら、新しいスタジアムへと、更なる躍進を目指している。彼も、同時に、世界へとその、普遍的な文体で乗り出すのであろうか?いや、彼は、あくまでもマニアックであり、固執狂で居て欲しい。
英語「Emirates Stadium」2006年-07年シーズンからの使用に向けて建設中の、アーセナルの新しいホームスタジアム。

始めに

emirates09062005_1x.jpg2006−07年シーズンまでの移転に向けてハイバリーからさほど離れていないASHBURTON GROVEに建設中の、6万人を収容できるスタジアムは、建設までに数々の苦難を味わって来た。この巨大な建設計画は、スタジアム建設以上に、それを取り巻く環境に左右され続けていると言っても過言ではない。再三の見直し計画は、当初の建設資金を莫大な物にしてしまい、その借金返済に、彼らは奮闘しなければならない運命を背負わされる。

当初、些か、老朽化した今の3万人規模のスタジアムからの移転先の捜索は、ウェンブレースタジアムの使用も視野に入れてのスターとだった。しかし、彼らが自らのスタジアムを確保する道を選ぶのにはそんなに、時間は必要ではなかった。問題は、建設地の確保であり、ロンドンにあってそれは、少し難しい難題に思えた。実際、総額費用、4億ポンドの内、スタジアム建設に当てられるのは、1億2千5百万ポンドでありその殆どが移転などの環境整理費に使用されたことになる。

ASHBURTON GROVEには、市当局が管理する、ゴミ焼却施設が存在しており、その移転先の確保に、まず、彼らは奮闘しなければならなかった。レイルトラック社からの、Lough Roadの土地を新たに購入する形で、この施設を移転させる場所を確保する。余った土地は、住宅地を建設して、スタジアムの建設資金に当てられる。それは、ハイバリースタジアムのスタンドを利用した、モダンな住宅地にする計画と統一性を帯びている。ハリバリーのArt Decoスタンドは、モダンな移住空間へと変貌し、選手がプレーしていたピッチは、植物などが埋められ、壮大な庭に変わると言う。

新しいスタジアムの総面積は、27エーカーと、マンチェスターユナイテッドの100エーカーと比べるとやや劣るが、彼らの交通手段が、隣接する公共機関に70パーセント頼っていることを考えると、十分と言える敷地面積だと言われている。スタジアム建設に際して、環境面に配慮した取り組みである、取り壊された資材の再利用は、廃材の70パーセント削減を実現できる、積極的な試みであり。雨水を利用する、灌漑システムは、エコなスタジアム作りの先駆けになる可能性を期待させる。

資金難

大きな問題の資金集めでの莫大な銀行への借金返済では、大量の社債を発行することで、十分に補えると、彼らは鼻息が荒い。また、この一環として、彼らはスタジアムの名前を中東の航空会社、エミレーツに貸し出すことに合意した。これは、古くからの伝統、チームの英雄の名前を使用するものから逸脱するものだと、非難を浴びるが、それも、今の商業化されたフットボールにおいて、仕方が無いものだとする動きも大きい。彼らとの契約は、15年間で、1億ポンドと言う破格な物であり、今の彼らにとっては、咽から手が出るほど欲しい物だった。一部の投資家の間では、彼らのバランスシートに取り込まれた、資産の中で、フットボール選手の存在が疑問視されている。これは、怪我などにより不確かな要素が大きい選手を資産として考慮するべきかの是非であり、果たして彼らのバランスシートは健全なものなのか?その議論は続くであろう。

スタジアムの新設は、観客席の増加を生み、そこから発生される、自然発生的な動員数の伸びに期待する彼らは、年間で、現在の1億1千5百万ポンドから、1億7千万ポンドまで伸びると考え、その数字は彼らの莫大な借金返済能力への大きな裏づけになっている。しかし、観客動員での収入に頼る、シーズンチケットの大幅な値上げは、ファンの間での不信感は根強い。
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